26 歳-29 歳不動産って面白いかも

略歴

  • 26歳大起建設株式会社入社
  • 28歳宅建取得
  • 28歳元同級生に再会し、株式会社グローバルに誘われる
  • 29歳大起建設株式会社退社

先輩に勧められるまま建築会社の営業職に就職
学校を辞めてから1カ月も経っていませんでした

 野球なんて二度と見るか!――そんな勢いで山陽高校を辞めた私は(実際学校を辞めてから1年半近く、高校野球はもちろんプロ野球も一切見ませんでした)、その後どのような人生をたどったのでしょう。
 学校を辞めたときのことを振り返ると、ただひたすら怒っていたように思います。「山陽高校の教員の3倍は絶対に稼いでやる!」「教員免許よりいい資格を取ってやる」「後悔だけはするものか。今に見てろよ!」……胸の中は煮えたぎるような怒りで震えていたし、自分をないがしろにした学校を見返してやりたいというエネルギーでいっぱいでした。それがモチベーションになって第二の人生に飛び込んでいくつもりでした。
 ただ、頭はカッカしていましたが、現実的にどうするかに関してはまったくアイデアはありませんでした。頭にあったのは、「これまでとまったく違うことがやりたい」「もう野球はやりたくない」というくらいです。
 なので7月末に学校を辞めてしばらくは、まずは野球部の教え子たちのセレクションに付き合っていました。各大学が行っている選手のセレクションに、生徒たちを連れて行ってやるのです。私は自分の進路も決まっていないのに、教え子たちの進路のために奔走していたというわけです。
 就職については2人の人物と会いました。
 一人は父の大学の後輩で生命保険会社に勤めている人です。生命保険の仕事を勧められましたが気持ちは動かず、お断りすることにしました。
 もう一人は山陽高校の先輩でした。彼は自分の勤めている会社に来ないか、と誘ってくれました。賃貸マンションを建てる建築会社で、営業職の人間を探していると言います。
 そのときは正直、心が引かれたわけではありませんでした。ただ、その先輩の強引な説得で一度だけ会社見学に行くという約束をしてしまいました。いざ見学に行くと、なんとそこには社長が待機しておられます。そのまま面接という形になり、あれよあれよという間に「とりあえず一度やってみんさい」という話になってしまいました。どうやら私は面接に合格したらしいのです。
 そして私は8月20日、大起建設株式会社の社員になりました。
 結果から見ると、私は学校を辞めてから1カ月も空くことなく次の就職先を見つけたことになります。だから悩む時間もなかったのですが、会社に関しても業態に関しても、いつの間にか成り行きで決まってしまったという感じでした。
 ちなみに後日、社長に「どうして自分みたいな素人をすぐに採用すると決めたんですか?」と聞いてみると、こんな答えが返ってきました。お茶が出されたとき、私はいつものクセで片手で湯呑を持ち、片手を湯呑に添えて飲んだのです。それを見た社長は「両手でお茶を飲むなんてなんて礼儀がいいのだろう。これはご両親の育て方がよかったに違いない」と考えたというのです。
 人生いったい何が役に立つか。立場のある人は人のどういうところを見ているのか――そのことを考えさせられるエピソードとして、今もこの話は私の心に深く残っています。

コンサルティング営業のためには市場調査が必須
データを集めるため、とにかく街中を歩き回った

 私が入った大起建設は60年以上の歴史を持つ古い会社でした。広島で初めて分譲マンションを建てた老舗ながら、当時は規模を縮小して社員は15人程度。以前やっていた公共事業や分譲マンションからは撤退し、賃貸マンションを建てることを主要業務にしていました。
 そんな中で私に託されたのは、大家に対して「新築賃貸マンションを建てませんか?」という営業をかけること。ただ、営業マンも少なく、やみくもに飛び込み営業をしても非効率なので、各不動産屋を回り、その不動産屋が懇意にしている地主を紹介してもらうというやり方をとっていました。
 私が運がよかったのは、大起建設がとてもいい商材を扱っている会社だったことです。また、営業方針もひたすらゴリ押しでいくのではなく、ちゃんと先方にニーズを聞いて提案していく“コンサルティング営業”を推奨していました。
 入社した私は、まずは先輩について不動産屋回りをすることになりました。最初はどこもなかなか相手にしてくれませんでしたが、社長から「教員免許を持っていることを名刺に書け」と言われ、それを実践するといい話のタネになったのか、次第に話が広がるようになっていきました。
 会社での私の仕事を一言で言うと「マンション建て替えの提案」ということになります。不動産屋に地主さんを紹介してもらうと、「とりあえず図面を書かせてもらえませんか?」と承諾を得ます。そして「市場調査をするので1週間ください」と伝えて、そこから作業がはじまります。
 具体的にはどんなことをしていくのでしょう?
 まずはゼンリンの白地図を貼り合せて、中心にその土地がくるようにします。そこから周辺の賃貸マンションに印を付つけていきます。面白いもので、やっていくうちに地図で見ただけでそのマンションが分譲なのか賃貸なのか区別できるようになりました。見るポイントはマンションの規模、階数など。基本的に10階以上の物件は分譲と考えていいと思います。
 そこからは実際に周辺地域を歩き回って調査を進めます。とにかく歩いて歩いて歩き回ります。
 歩いて何を見るのかというと、新たにマンションを建てたいと思う地域の現状です。周りにどれくらいライバルとなるマンションがあるか。それらは現在どのような状態か。具体的には築年数、間取り、鉄筋なのか木造なのか、空き部屋の状況……それらを基本的に「見る」ことで1棟1棟チェックしていきます。
 例えば築年数に関しては定礎のプレートがあればそこで確認しますし、なければガスメーターのシールをチェックします。ガスメーターのシールは10年ごとに貼り替えることになっているので、それを見ることで10年単位で築年数を推測することができるのです。
 間取りに関しては、窓が4つあったら2部屋が横に並んでいるな、とか。部屋が空いているか埋まっているかは、カーテンや電気メーターから推定します。
 まあ、時には客を装って管理会社に電話して聞くこともありますが、基本的には全部足を使って調べます。これは本当に地道な作業で、真夏だとヘトヘトになります。
 こうして足を使って調べたデータをグラフにして、最初の白地図に書き込んでいきます。それを見ながら「この土地の近隣にはこういうスーパーがある。ワンルームより2LDKの方が多い。周辺の相場がこれくらいなので、これくらいの家賃に設定すると収益がこれくらいは出るだろう……」というふうにシミュレーションを行っていきます。
 さらに、それを元にどんなマンションを建てればいいか決定し、どんな形で支払いを進めていくか、銀行に提出する収支のシミュレーションも作っていく――それが私の仕事でした。

営業部の先輩に言われて宅建の勉強スタート
実践と知識が合わさり、ますます不動産が面白くなる

 最初は慣れないところもありましたが、私はすぐにマンション営業の面白さに引かれていきました。事あるごとに勉強会に出席し、市場調査の大切さや地主さんへのアプローチの仕方などを積極的に学んでいきました。
 その時期、私は営業部のトップの2人について仕事をしていました。入社してすぐに2人に言われたのが「まずは宅建を取れ」ということでした。やはりこの仕事をしていくのなら宅建は必要だ、と。特に建築に関する知識を持って自分から提案できないと、「建てましょう!」と押しまくるだけの営業からは脱出できない。知識を得るためには宅建の勉強をすることが一番の近道だし、今後もこの世界で生きていこうと思うのなら宅建という資格は不可欠だ――そんなふうに言われたのです。
 そんなこともあって入社から4カ月月たった12月、私は宅建の勉強をスタートさせました。
 宅建に関しては、一応家に問題集がありました。実は山陽高校の監督時代「もうあまり長く学校にはいられないかも……」と思って、ユーキャンの宅建講座に申し込んだことがあったのです。そのとき買った問題集をやっと開いて、仕事のかたわら勉強をはじめました。
 主に勉強したのは年が明けてからになりますが、この時期、会社は介護のリフォームにも乗り出すことになり、介護の資格を取ることも奨励していました。なので私は宅建とホームヘルパー2級の勉強を並行して行うという、とてつもなく忙しい時期を経験することになります。
 勉強はかなりがんばったと思います。試験が10月にあって、合格発表が11月――私に宅建を取るよう勧めてくれた2人の上司にすぐに電話して「合格しました」と伝えました。
 その年の合格率は17%でした。これを狭き門と見る人も多いでしょうが、私に言わせれば実務が長い人が裏をかきすぎて失敗しているだけのような気もします。私は素直に問題集とだけ向き合って勉強していたので、かえってそれがよかったのでしょう。独学にもかかわらず一発合格することができました。
 宅建の勉強をすることで、私は不動産の面白さにさらにハマっていきました。不動産屋を回って疑問に思ったことがすぐに勉強に反映されるし、勉強で得た知識がすぐに実際の営業に役立つのですから、こんなに楽しいことはありません。資格を取ったことで自信も芽生え、自信が出たことで営業成績も上がるし、とにかくいいことづくめです。
 それに加えて、さらにうれしいニュースもありました。宅建を取ったことで、会社に一人は必ず必要な「宅建専任主任者」という立場に私が選ばれたのです。これだけで給料が35,000円も跳ね上がりました。
 大起建設に入社して1年と数カ月で宅建合格――この時点で私の中からはもう山陽高校のことも野球のことも消え失せ、不動産一色の日々となっていました。

次々と現れる、家賃収入だけで暮らしている地主さん
彼らの存在はカルチャーショックだった

 それにしても建築業界に入って、いろんな不動産屋さんや地主さんに会いましたが、その中には私の常識をぶち壊すような人がたくさんいました。
 例えば私が最初に担当した地主さんは、これまで一度も働いたことがないという方でした。彼は50代になったばかりですが、先祖が大地主で、相続した土地にマンションを建て、これまで家賃収入だけで生きてきた人です。
 その地主さんが持っておられるのはマンション3棟と戸建て5戸。安佐南区祇園のご自宅に伺っても、いつも「先週、九州に旅行に行ってきたから豚足でも食べる?」といった調子で、いろんなものをごちそうしてくれます。
 家賃収入だけで暮らしている人がいるというのはなんとく理解していましたが、実際そういう人を目の当たりにすると度肝を抜かれるものです。私が住んでいる世界とはまったくの別世界の話であり、「本当にそんな人いるんだ……」とショックを受けました。
 しかし、そういう人は1人や2人ではないのです。
 入社初日に挨拶に伺った海運会社の社長さんは、船を3~4隻と事務所の建物を持っていて、船の賃料と家賃収入で食べておられました。いつも事務所にお邪魔すると「寿司でも食べに行こうか」と言っておごってくれます。自分では何も動かないのに、所有している船と建物だけで生活が回っているという話を聞いて、ア然としたことをよく憶えています。
 地主さんだけではなく、物件を所有している不動産屋さんも強いと思いました。大起建設のお客様で三次の不動産屋さんがおられたのですが、そこは不動産業を営みながら会社でも2~3棟持っておられました。
 すると事務所に伺っても、「遠くからよく来てくれたね」と近所のステーキ屋に連れていってくれるのです。しかも、その店では自分専用の部位を特注で仕入れてもらっていたりするのです。
 毎月定期的な収入があるというのはこういうことか……。
 私は地主さんたちの華麗な生活を眺めながら、改めて家賃収入があることの強みを感じていました。これまで野球ばかりやってきた私にとって、働かずして裕福な暮らしをしている人がいるという現実はカルチャーショックであり、不動産というものを現実的に考えはじめる契機となりました。

自由で可能性に満ちている不動産業に魅了され
次第に不動産業への転身を考えはじめる

 一方、そんな地主さんとは別に、私にはもうひとつ気になる存在がありました。
 それは街中でよく目にする、古びていて、ヒマそうな不動産屋さんでした。いわゆるおじいさんが手書きで店頭に「築○年/3LDK/月〇万円」みたいな賃貸情報を掲げているようなところです。
 お客の出入りもなさそうなのに、この店はどうしてつぶれないんだろう? 物件もまったく借り手がついていないみたいだし、趣味で店を開けてるだけなのだろうか?……そんなふうに思っていましたが、調べてみると、彼らは賃貸物件の管理をしているということがわかってきました。大家が持っている物件の管理業務を引き受けている不動産屋は、大家から毎月その物件の管理料が入ってくるのです。
 物件の管理とは具体的にどんな仕事かというと、例えば水道や空調といった設備が壊れた際に業者を呼んで修繕したり、物件が古くならないようにメンテナンスを施したり、家賃を滞納している住人がいればそれを取り立てたり、空き室が出れば大手の不動産屋に情報を流してそれを埋める努力をしたり……といったことです。
 その管理料は月の家賃の何%と決められているので、部屋が埋まっていれば毎月収入が入ってきます。部屋を埋めれば埋めるだけお金が入ってくるし、たとえ入居者がいなくても大家ほど大きなダメージを受けることはありません(大家は入居者がいないと家賃収入がゼロになる可能性もあります)。
 おまけに管理料は一時的な収入ではなく、毎月毎月手元に入ってくる定期収入です。そう考えると賃貸専門の不動産屋にとって、管理を請け負うのは本当に大きいことだということがよく理解できると思います。
 不動産業が魅力的なのはそれだけではありません。
 たとえ退出する人が出たとしても、次の入居者を見つければ、そこに仲介手数料が発生します。入居者に引っ越し屋を紹介すれは、さらにいくらか入ってきます。不動産屋の中には火災保険の代理店までやっているところもあります。そして、古いアパートを持ってる大家さんと懇意な不動産屋は、当然建て替えの時期も知っているわけで、そこで建築会社との間を取り持つと建築費の3%が仲介手数料として入ってきます。
 不動産屋という業種は、なんて自由で、なんて手広く活動できるんだろう!――私の中で衝撃が走りました。
 大家、建築会社、住人、引っ越し屋、保険会社……いろんな人たちの真ん中に位置する不動産屋という職種に、私は完全に魅了されてしまったのです。
 そうなのです。私はマンション建設の営業をして、さらに宅建の勉強をするうちに、次第に「自分には不動産業の方が合っているんじゃないか?」と思いはじめました。この業界の仕組みがわかるにつれて、建設会社よりできることの幅が広く、可能性に満ちている不動産業界の方に強く引かれるようになっていきました。
 そもそも不動産屋と一言で言っても、その仕事内容は一くくりにできるものではありません。物件の管理、集金代行までやっていると地主との間に信頼関係が生まれて、「全部任せるよ」と言われることも多々あります。そうなると地主の代理として銀行と話し合ったり、地主の税理士と直接相談したり……といったことまで仕事になる場合もあるのです。
 さらに、そのうえで自分で物件を持つことも可能なのですから!

建築会社に勤めたからこそ外から不動産業界が見れたし
“ものを作る”ことの面白さも知れた

 それと同時に、建築会社の営業から学ぶこともたくさんありました。
 私がこの仕事に夢中になったのは、そこに“作る”ことの面白さがあったからでした。
 先程も書きましたが、地主さんに対して市場調査を行った後、私たちはどんなマンションをそこに作ればいいか、提案を行います。まずは設計士さんと話して「この土地にどれくらい大きい建物が建てられるか」というマックスの規模をはじき出します。そこから「何部屋取れるか?」ということを計算し、同時に収支を計算をしつつ「これだったらむやみに高くするより7階建てに抑えた方がいい」とか「エレベーターは5階まで伸ばした方がいい」とかマンション全体のイメージを決定していきます。
 そこで契約が成立したら、今度は実際の設計に入ります。壁の色はどうするか、質感はどんなものを選ぶか……ゼロから建物のイメージを作り、それが現実となっていく過程はスリリングで、わくわくするものがありました。その作業はクリエイティブで、私にとってはとても刺激的なものでした。
 今から振り返れば、私は自分の出発点が建築会社で本当によかったと思います。それは建築会社で働けたことで、不動産業界のひとつの重要な要素である“作る”という側面を学べたからです。
 不動産屋には建築がわかる不動産屋と建築がわからない不動産屋がいますが、後者はある意味、物件を横流しして、その中間に入ってリベートを取るだけの存在です。悪く言えばハイエナのような仕事しかすることができません。結局は人のものを転がすだけで、それが私は好きではありませんでした。
 しかし、不動産屋として建築がわかっていれば、新しい建物を作ったり、既存の建物に新しい価値を付け加えることが可能になります。つまり“作る”ことができれば、自分の手で市場や未来を切り開いていくことができるのです。
 また、私は建築会社にいたことで、不動産屋の可能性を客観的に見ることができたのもラッキーでした。もし最初に不動産屋に就職していたら、賃貸の仲介や物件の管理など日々の業務に追われて、この職業の可能性に気付くことはなかったでしょう。私は外から不動産業界を見ることで、その魅力や数々の方法論に気付くことができたのです。
 宅建を取った後くらいから、私の中でどんどん不動産業への興味が膨らんでいきました。入社2年目、3年目と次第に営業成績も上向き、仕事に自信もついてきました。
 もう市場調査もひとりでできるし、銀行に持っていく収支計画のシミュレーションもひとりで作れます。調べて、交渉して、プレゼンして、お金を計算して、建てて、募集して、人が住んで……マンションを企画してから家賃収入が発生するまでの一連の流れも、すべて頭の中に入っています。
 ちょうどその時期、私は会社にひとつの意見を出しました。以前から社内には物件の管理を行う部署があったのですが、そこに仲介部門も作って手数料を取ることを提案したのです。仲介部門は無事に立ち上がり、私はその部署に異動しました。
 しかし、歴史のある建築会社には限界がありました。「建築屋は建ててナンボ」というプライドが強すぎて、私が思うほど自由に不動産の仕事はさせてもらえなかったのです。

会社時代の終わり頃は、HPで中古の物件を見つけて
自分ならどう売るかシミュレーションしていた

 気持ちは不動産の方向に傾きつつあるが、会社の中では不完全燃焼でどうしていいかわからない――そんなときに、ある話が舞い込んできました。
 先程、宅建を取る際にホームヘルパー2級の資格も取ったと言いましたが、そのときに相談したのが高校時代に山陽高校野球部でバッテリーを組んでいた谷口真という男でした。私は背番号「2」を付けていた補欠のキャッチャーですが、彼は「10」を付けているけど実質的にはエース。私たちはそんなおかしなバッテリーとして卒業後もよく一緒に遊んでいました。彼は当時介護の通信教育の会社に勤めていたので、ホームヘルパー2級の資格を取らなければいけないとなったときに相談に乗ってもらったのです。
 そんな彼から連絡があったのは、私が29歳のときでした。大起建設に入って3年がたった頃です。
 彼いわく、東広島市に介護施設があるのだと。1階はデイサービスで、その上が老人ホームの分譲マンションになっている。その建物の持ち主がもう相当な老齢で、すべて自分に任せたいと言っている。だから介護の部分は自分、不動産の部分はおまえという形で建物の運営を一緒にやっていかないか――そんな誘いでした。
 彼とは学生時代から気が合って、いつか一緒に何かできたらいいねと話していました。なので、この話は渡りに船で一緒に物件まで見にいったのですが、調べてみると、これが借金まみれの物件だということが判明し、この話はなかったことになりました。
 しかし、それを機に私と谷口の中では近いうちに独立して一緒に会社を興すということが現実的な方向性として動き出します。
 私の心はもはや「不動産業をやりたい」という気持ちに完全に傾いていました。家ではインターネットで中古の物件を見つけてきては「これを自分が買ったら、どのようにリフォームしよう? どのように売り出していこう?」というシミュレーションに没頭するようになっていました。
 不動産投資、不動産実務に関する本もたくさん読みました。インターネット上にアップされているさまざまな人の経験談を読みあさり、なかでも素人ながらに不動産投資で成功を収めておられた「水戸大家さん」の存在を知ってからは、「自分にもできるかも」という気持ちがますます強くなりました。
 そして、私は29歳の2月に大起建設を退社――。
 先に退社して、まずは介護の通信教育の会社を起業していた谷口に合流することになるのです。

もし不動産投資を行いたいのなら
宅建の勉強をして、不動産の知識を身に付けるべき

 結局、私が大起建設でお世話になったのは、わずか3年半でした。それは言い方を変えれば、私が不動産というものに出会ってわずか3年半しかたってないということでもあります。
 私は3年半で不動産に魅了され、不動産を学んで、自分で不動産業をやってみたいと思い、それで会社を辞めたということになります。
 このときの心境を説明すると、正直なところ「独立したい」という気持ちはありませんでした。もともと私は独立志向は強い方ではありません。あくまでも主軸は「谷口と一緒に会社をやる」ということで、彼がいなければ会社を出るなんて考えなかったでしょう。
 ただ、胸の中には思いきり不動産の仕事をやってみたいという気持ちがありました。大起にいたらなかなかフルでは携われない不動産の仕事を、自分の好きなようにやってみたいという欲だけはありました。
 そう考えると、自分にとってこの3年半の間で、宅建を取ったことがひとつのターニングポイントになったような気がします。宅建の勉強をしたことで知識を得て、それが会社で身に付いた経験やネットワークと結びついて、不動産についての大局観を授けてくれたと思うのです。
 宅建という資格は、もちろん持っているだけで役に立つ資格ですが、それ以上に不動産を扱う上で役に立つ知識がいっぱい詰まっています。もし、ご自分で不動産投資を行いたいと考えている人がいたら、この宅建という資格に真剣に向き合ってみることをお勧めします。
 何も知らないまま投資を行うより、不動産の仕組みがわかった上で取引を行った方が絶対にいい――それは私が経験から申し上げられる不動産投資の鉄則であります。

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